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| 『石川五右衛門』とは |
9569:石川五右衛門
{{Otheruses|日本の安土桃山時代の盗賊|その他|ごえもん}}
thumb|『楼門詠千本』の「南禅寺山門の場」で演じられた石川五右衛門|220px
石川五右衛門(いしかわ ごえもん、生年不詳 - 文禄3年8月24日(1594年10月8日))は、安土桃山時代に出没した盗賊である。出生地は伊賀国・遠江国(現浜松市)・河内国・丹後国などの諸説があり、伊賀流忍者の抜け忍で百地丹波の弟子という説もある。また、石川五右衛門は、日本に滞在していたイエスズ会の宣教師ペドロ・モレホンの日記から存在が確定された。その日記が発見されるまでは存在が否定されていた。
一説に三好氏の臣 石川明石の子で、体幹長大、三十人力を有し16歳で主家の宝蔵を破り、番人3人を斬り黄金造りの太刀を奪い、逃れて諸国を放浪し盗みをはたらいたが、文禄3年追捕せられ、京都三条河原で一子と共に煎り殺された。ただし、この「煎る」を「油で揚げる」と主張する学者もいる。その主張から考えると、石川五右衛門は油で煮殺されたということになる。また、母親は、熱湯で煮殺された。熱湯の熱さに泣き叫びながら死んでいったという記録も実際に残っている。石川五右衛門は、処刑される前に「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」と辞世の句を詠んでいる。(この句の意味は、「たとえ砂浜の砂が無くなるようなことがあったとしても、盗人は世の中からは消えないだろう」ということである。)ちなみに、五右衛門の遠州浜松生まれで、真田八郎と称したが、河内国石川郡山内古底という医家により石川五右衛門と改めたという説もある。
史料に残された石川五右衛門の記録は、いずれも彼の処刑に関わるものである。まず、安土桃山時代から江戸時代初期の20年ほど日本に貿易商として滞在していたアビラ・ヒロンの記した『日本王国記』Avila Giron "Relación del Reino de Nippon a que llaman Corruptante Japon(転訛してハポンと呼ばれている日本王国に関する報告)"によると、かつて都(京都)を荒らしまわる集団がいたが、15人の頭目が捕らえられ京都の三条河原で生きたまま油で煮られたとの記述がある。ここにイエズス会の宣教師として日本に滞在していたペドロ・モレホンが注釈を入れており、この盗賊処刑の記述に、{{Quotation|「この事件は1594年の夏である。油で煮られたのは「Ixicava goyemon」とその家族9人ないしは10人であった。彼らは兵士のようななりをしていて10人か20人の者が磔になった」|}}と記している。{{Cite book|和書
|author=佐久間正,他
|year=1965年
|title=大航海時代叢書11 日本王国記・日欧文化比較
|pages=226-227
|publisher=岩波書店
|isbn=4-00-008511-5
}}
また、公家の山科言経の日記『言経卿記』には、文禄3年8月24日(1594年10月8日)の記述として「盗人、スリ十人、又一人は釜にて煎らる。同類十九人は磔。三条橋間の川原にて成敗なり」との記載があり、誰が処刑されたか記されてはいないものの宣教師の注釈と一致を見せる。また、時代はやや下るものの{{和暦|1642}}に編纂された『豊臣秀吉譜』(林羅山編)は「文禄のころに石川五右衛門という盗賊が強盗、追剥、悪逆非道を働いたので秀吉の命によって(京都所司代の)前田玄以に捕らえられ、母親と同類20人とともに釜煎りにされた」と記録している。以上の史料にはそれぞれ問題点も挙げられているが、石川五右衛門という人物が安土桃山時代に徒党を組んで盗賊を働き、京で処刑されたという事実は間違いないと考えられている。
また、(以下、「一」、「二」、「レ」は漢文の返り点)、『続本朝通鑑』には、{{Quotation|「頃年、有二石川五右衛門者一、或穿窬或強盗不レ止矣、秀吉令二京尹前田玄以遍捜一レ之、遂捕二石川一、且縛二其母竝同類二十人許一烹二殺之三条河原一」|續本朝通鑑}}とあり、『歴朝要紀』には、{{Quotation|「所司代法印前田玄以、捕二賊石川五右衛門竝其母及其党二十一烹二殺于三条河原一」|歴朝要紀}}とある。
江戸時代には伝説の大泥棒として認知されている。盗賊の彼が人気を博した理由は、浄瑠璃や歌舞伎の演題としてとりあげられ、これらの創作の中で次第に義賊として扱われるようになったこと、また権力者豊臣秀吉の命を狙うという筋書きが庶民の心を捉えたことにもよるであろう。また徳川政権の下では権力者の象徴として前政権の秀吉が適当だった為と考えられる。
歌舞伎『金門五山桐』(楼門五三桐)の「山門」の場で「絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、値万両、万々両」と煙管片手に見得を切り、楼門の場の科白で釜煎りにされながら詠む「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ(辞世の句とされている)」が有名である。山門は京都南禅寺の山門という設定。ただし、実際には南禅寺の山門は五右衛門の死後の1628年建築である。また、この場面で五右衛門は髪が伸び過ぎた状態を表す百日鬘(ひゃくにちかつら)に大どてらという格好をしており、これが今日の一般的な五右衛門像となっている。
戒名は「融仙院良岳寿感禅定門」。これは処刑された盗賊としては極めて異例の、破格に立派な戒名である。
一方で彼の実際の行動について記録されている史料は少ない。反面、そのことが創作の作者たちの想像力と創作意欲をかき立てていることは間違いなく、彼に関しては古今数多くのフィクションが生み出されている。
その半生についてはさまざまな説がある。
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アニメ作品のルパン三世に登場する石川五ェ門は、石川五右衛門の十三代目の子孫という設定になっている。大阪府三島郡島本町にある、水無瀬神宮に石川五右衛門がつけたといわれる手形が残る。釜茹でにされたという故事から、風呂釜を直火で温めた風呂のことを五右衛門風呂と称する。ゴエモンコシオリエビは、熱水噴出孔のすぐ近くで生活していることから、釜茹でに因んでゴエモンの名が冠せられた。
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{{Commons|Category:Ishikawa Goemon}}
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Category:盗賊
Category:忍者
Category:安土桃山時代の人物
Category:1594年没
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