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10719:福岡ソフトバンクホークス
福岡ソフトバンクホークス(ふくおかソフトバンクホークス、Fukuoka SoftBank Hawks Baseball Club)は日本のプロ野球球団でパシフィック・リーグの球団のひとつ。チーム運営を「株式会社福岡ソフトバンクホークス」、営業面を「株式会社福岡ソフトバンクホークスマーケティング」が担当する。本拠地は福岡ドーム(福岡市中央区 (福岡市))。2軍は雁ノ巣レクリエーションセンター野球場(同市東区 (福岡市))を使用している。所属選手は福岡ソフトバンクホークスの選手一覧参照。
球団の歴史
「南海」時代
- 1938年に南海電気鉄道を親会社とする南海軍(なんかいぐん)が結成される。同年3月29日に加盟し、秋季リーグ戦から参加。本拠地は大阪府堺市。
- 1939年に本拠地球場として中百舌鳥球場が完成したが、公式戦は主に西宮球場と阪神甲子園球場で行われた。戦前のチーム成績は今ひとつではあったが、鶴岡一人、のち松竹ロビンスの主軸・岩本義行、悲劇のエース・神田武夫と実力のある選手がチームを支えた。
- 1944年の戦時企業統合政策(陸上交通事業調整法)により南海鉄道は関西急行鉄道と合併。同年6月1日より近畿日本鉄道となり、合わせてチーム名は近畿日本(きんきにほん)へ改称された。
- 終戦後の1946年、プロ野球再開でリーグに復帰。あわせてチーム名をグレートリングに改名。監督は鶴岡一人が選手兼任。戦後混乱で物資・食料が不足する中、鶴岡は公私を問わず選手らの面倒をみるなど奔走。その甲斐あってか、プロ野球再開シーズンを球団初優勝で飾った。
- 翌1947年6月1日、旧南海鉄道の事業一切が近畿日本鉄道から南海電気鉄道へ譲渡され、球団の親会社も南海電気鉄道へ移行。これにあわせてチーム名を南海ホークスに改称した。
- 1949年シーズンオフの2リーグ分裂でパ・リーグに加盟。
- 1951年からリーグ3連覇。
- 7度目のリーグ優勝を果たした1959年の日本シリーズ (野球)では杉浦忠投手が4連投で4連勝という不滅の大記録を打ち立て、球団初のプロ野球日本一チーム一覧に輝いた。大阪市内を巡航したパレードは「涙の御堂筋パレード」と言われた。
- 鶴岡一人はチームを11度のリーグ優勝、2度の日本一に導き1968年に勇退。1970年就任の野村克也選手兼監督時代は、1973年リーグ優勝のみだったが、6度のAクラス入りと安定した成績を残した。しかし、1977年シーズン途中、野村が解任されて以降、チームは一度もAクラスに入ることができず、ついに1988年、ダイエーに経営を譲渡してしまう。
「ダイエー」時代
- 1988年11月1日、南海電気鉄道はダイエーに球団を売却。関西国際空港開業に伴う難波再開発事業を推し進め、不採算の球団を売却しようとする南海側と、福岡再開発事業の目玉に球団を保有し、九州を核とした商圏拡大を目論んだダイエー側の思惑が一致したためであった。大阪では売却に対し反対運動も行われたが、チームの本拠地は福岡に移され球団名は福岡ダイエーホークスと改められた。
- 移転後も長らく不振が続いていたが、根本陸夫を初めとするフロントの熱心なチーム補強策が功を奏し、地域密着を目指したファン開拓の成功も相まってパ・リーグでは随一の人気球団へと成長した。
- 1999年、福岡ダイエーホークスとして初のリーグ優勝・日本一。
- 2000年、リーグ優勝(リーグ連覇)。
- 2002年5月14日-5月15日、台湾の台北市天母棒球場で行われた対オリックス・バファローズ戦で、日本のプロ野球の公式戦としては戦後初となる台湾での試合が興行された。ちなみに始球式を担当したのは台湾でも人気の日本人歌手である松浦亜弥。
- 2003年、リーグ「完全優勝」(全球団勝ち越し)を達成。その後、阪神タイガースとの熾烈な日本シリーズ (野球)を制し、4勝3敗で2度目の日本一を達成した。また、史上初の100打点の選手が4人(井口、松中、城島、バルデス)の「100打点カルテット」が活躍した。
- 2004年は、シーズンを1位で通過しながら、この年から導入されたプレーオフに敗れ(2勝3敗)、4.5ゲーム差の2位西武ライオンズに優勝を奪われた。しかし、打撃三冠王とリーグMVPにチームの主砲松中信彦が、新人王に三瀬幸司が輝き、ベストナインにも4名が入るという、実力・実績と結果が伴わない事態となりファンにとっては複雑なシーズンとなった。(西武はベストナインにわずか1名のみ)
- 2004年10月13日、ダイエーが自主再建を断念し、産業再生機構への支援を要請。球団の売却が濃厚になる。
- 2004年11月30日、ソフトバンクが球団を総額200億円で買収すること等を正式発表。同日付で日本プロフェッショナル野球組織への加盟申請を行った。
- 2004年12月24日、加盟申請(球団譲渡)がプロ野球オーナー会議で承認され、翌年1月28日にダイエーの保有する球団株式(所有割合98%、残りの2%は中内正前オーナーが継続保有)をソフトバンクが50億円で譲り受けることになった。これと同時にソフトバンクとホークスタウンは、営業譲渡と合わせ20年間の福岡ドーム使用契約を結んだ。1年間の球場使用料は48億円となる。また同日付けでコロニー・キャピタル傘下のホークスタウンが所有する興行権を150億円で取得する営業譲渡契約を締結することでホークスタウンと合意した。
- 同日、ソフトバンクは新チーム名福岡ソフトバンクホークスとロゴマークを発表。また、#チームの特徴に掲載しているマスコットやチームの応援歌などについてもダイエー時代とほぼ同じものを採用することを合わせて発表した。
「ソフトバンク」時代
- 2005年1月28日、ソフトバンクがダイエーの保有していた球団株式と興行権を取得し、福岡ドームの使用契約を締結することで名実ともに「福岡ソフトバンクホークス」のスタートを切った。また監督の王貞治氏が球団の取締役副社長兼GM(ゼネラルマネージャー)に就任することも発表された。
- 新チームマークは英語の「S」と「h」を組み合わせた組み合わせ。
- 大リーグ通算214本塁打を誇り、独特のオープンスタンスで日本でも有名なトニー・バティスタ選手を2年総額1500万ドル(約15億8000万円)で獲得
チームの特徴
- 「グレートリング」は鉄道の車輪をイメージし、併せて近鉄の社章や沿線の「大和」地区、並びに合併会社である近鉄の一致団結をイメージしたものだったが、親会社の変更に伴い南海「ホークス」と改名している。「ホークス」は南海電鉄の社章が車輪の両側から鷹の羽根が伸びる意匠だった事からこれにあやかったもので、ダイエー、ソフトバンクがそれぞれ買収した後も引き継がれている。
- 1948年のプロ野球地域保護権制導入にあたり暫定的に本拠地を阪神甲子園球場に変更。1950年9月12日の大阪球場(通称・ナンバ球場)完成に伴い移転。
- 南海時代は生え抜き選手が監督に昇格していたが、チームがダイエーに売却された杉浦監督時代以後は外様監督を招聘している。
- 球団マスコットは総勢8人と12球団最多。いずれもモチーフは鷹。ホークスタウンの住人という設定。
- ハリー・ホーク - 背番号100。一族の始祖・ホーク1世から数えて7代目。先代マスコット・ホーマーホークの末弟。
- ハニー・ホーク - ダンシングチーム「ハニーズ」のチアリーダー。
- ハーキュリー・ホーク - 背番号200。ハリーのライバル。
- ホンキー・ホーク - ハリーの叔父。ホークスタウン市長。
- ヘレン・ホーク - ホンキーの妻。
- ハック、リック、ホック - ハリーの甥っ子三兄弟。
ユニフォーム等のスポンサー
- ヘルメット サニックス(白蟻駆除会社) - 宗政酒造を兄弟会社に持つ宗政グループの一角
- ユニフォーム袖 エムシーコーポレーション - 元来、兄弟会社だった旧木下工務店を支援
チーム成績・記録
- 優勝(1946、48、51-53、55、59、61、64-66、73、99-2000、03)
- 日本一(1959、64、99、2003)
- Aクラス(1941、46-66、68、70、72-74、76-77、98-2004)
- Bクラス(1938秋-40、42-44、67、69、71、75、78-97)
- 最多勝 99勝(1955)
- 最多敗 85敗(1990)
- 最多引分 16分(1974)
- 最高勝率 .750(1951)
- 最低勝率 .283(1940)
その他の記録
- 最小ゲーム差 0.5ゲーム(1954、56)
- 最大ゲーム差 45.5ゲーム(1940)
- 最多本塁打 203本(2001)
- 最小本塁打 3本(1944)
- 最高打率 .297(2003)
- 最低打率 .184(1943)
- 最高防御率 1.82(1941)
- 最低防御率 5.63(1980)
チーム名変遷
- 1938 - 1944.5.31 南海
- 1944.6.1 - 1945 近畿日本
- 1946 - 1947.5.31 グレートリング
- 1947.6.1 - 1988 南海ホークス
- 1989 - 2004 福岡ダイエーホークス
- 2005 - 福岡ソフトバンクホークス
歴代本拠地
- 1939-47 中百舌鳥球場
- 1948-50 甲子園球場(現在の阪神甲子園球場、保護地域は大阪府)
- 1950-88 大阪球場(※1950年9月より使用)
- 1989-92 平和台野球場
- 1993-04 福岡ドーム
- 2005- 福岡ドーム(福岡ドームより名称変更)
歴代監督
- 高須一雄(1938秋-40)
- 三谷八郎(1941-42途中)
- 加藤喜作(1942途中-閉幕、43途中-44)
- 高田勝生(1943-43途中)
- 鶴岡一人(1946-68)
- 飯田徳治(1969)
- 野村克也(1970-77途中)
- 穴吹義雄(1977途中-閉幕、83-85)
- 広瀬叔功(1978-80)
- ドン・ブレイザー(1981-82)
- 杉浦忠(1986-89)
- 田淵幸一(1990-92)
- 根本陸夫(1993-94)
- 王貞治(1995-)
エピソード
;1試合最多失点試合 1940年4月6日:日本のプロ野球がまだ1リーグの時代だった1940年4月6日のオリックス・バファローズ戦で、南海軍は2-32の30点差をつけられての記録的大敗を喫した。ちなみにこの2チームは2003年7月26日に福岡ドーム(ダイエーvsオリックスとして)で対戦した時に26-7、また8月1日に神戸総合運動公園野球場(同)で対戦した時には29-1で何れも大勝している。特に8月1日のそれは2リーグ制以後の最多得点試合・最多点差試合であった。
;最多得点完封勝利試合 1946年7月15日:1946年(近畿グレートリンクとして出場)の7月15日に高岡高等専門学校の校庭で開かれた大映ユニオンズとの対戦は、8回に累計16人を繰り出し1イニング12得点の大量得点を含め26-0の最多得点完封勝利の記録を達成した。この記録は2005年3月27日の千葉ロッテマリーンズvs東北楽天ゴールデンイーグルスとの対戦で同スコアでロッテが勝った試合が並んだ。
;日本シリーズ最少観客動員 1953年:1953年度の日本シリーズ (野球)(読売ジャイアンツ戦)は本来第5戦を後楽園球場、第6,7戦を大阪球場で行う予定だったが、日米野球の日程の関係で予定を変えて5,6戦を南海主催、7戦を後楽園という日程として行った。この内第6戦は本来の大阪球場ではなく阪神タイガースの本拠地甲子園球場を借りて開催したが、有料観客はわずか6346人というシリーズ史上ワースト記録となった。一部では大阪球場のキャパシティーが約3万人しかないので、少しでも大きなキャパシティーを持つスタジアムでの開催を希望したという説もある。
;堺市への幻の移転計画:大阪球場は関西国際空港の開港(1994年)に伴う難波地区の再開発計画の対象地域に指定されていたため、1990年度で野球場としての機能を終了することになっていた。(その後暫定的に住宅展示場などとして整備され1998年に完全閉鎖。現在のなんばパークスとなる):そこで、この大阪球場に代る新球場を堺市に建設する計画を持っていた。当初は中百舌鳥球場(2軍本拠地兼練習会場)や大浜公園野球場を改修して対応する計画があり、それが完成するまでの代わりの球場として神戸総合運動公園野球場や日本生命球場などを利用することも検討されていた。しかし、ダイエーへの球団譲渡、福岡市への本拠移転によってこの計画も幻となってしまった。その後中百舌鳥球場は地元の少年野球に使用されていたが現在は閉鎖されマンションが建設されている。
;地元でのビジターゲーム 1999年6月:1999年6月に開かれた対オリックス・バファローズ戦(当時)は、地元福岡ドームでの開催でありながらホーム・アンド・アウェー扱いで戦った。これは、オリックス球団が当時神戸総合運動公園野球場を本拠地としていたため、6~7月の梅雨シーズン中の試合消化が天候に左右されやすいことを考慮に入れて主催試合を福岡ドームで開催したい旨をダイエー球団側(当時)に申し出ていたことから実現したものである。なおベンチの配置は通常のホームゲームと同じで、ホークスは1塁側、ホームのオリックスは3塁側だった。:なお、本来他球団の本拠地都道府県で公式戦を開催する場合は当該球団の許諾を得ることが義務付けられている。
;100打点カルテット 2003年:2003年に日本一に輝いた際の中軸打者4人をまとめたものである。この年のダイエーには100打点以上を記録した打者が1チームに4人いるという、脅威の打線を誇っていた(史上初の快挙)。:*井口資仁 主に3番二塁手。打率.340 本塁打27 打点109 盗塁王、ゴールデングラブ賞、ベストナイン:*松中信彦 主に4番一塁手。打率.324 本塁打30 打点123 打点王、ベストナイン:*城島健司 主に5番捕手。 打率.330 本塁打34 打点119 MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ:*ペドロ・バルデス 主に6番左翼手。 打率.311 本塁打26 打点104 リーグトップの犠牲フライ数
;東京での主催遠征 2004年6月:2004年6月、当チームは初めて東京ドームで主催ゲーム・対大阪近鉄バファローズ戦を開催した。これまで東京ドームでは北海道日本ハムファイターズがホームスタジアムとしていたため、主催ゲームを行えなかったが、日本ハムが札幌ドームに移転したことに伴って、東京ドームでは読売ジャイアンツとヤクルトスワローズの許諾が得られればパ・リーグの各チームが自由に主催できるようになったことを受けて、近鉄戦2連戦の内の1試合を東京ドームで開催した。なお第2試合は福岡ドームで開催された。
関連項目
- あぶさん
- 南海土建野球部(1951年 南海2軍の選手が出向して参加し話題に)
外部リンク
{{プロ野球}}Category:野球チームCategory:福岡県Category:福岡県の企業en:Fukuoka SoftBank Hawks
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