.:MemoMsg:.
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| 『岡山市』とは |
15700:岡山市
{{日本の市
|自治体名=岡山市
|都道府県=岡山県
|支庁=
|コード=33100-7
|隣接自治体=倉敷市、玉野市、総社市、
備前市、瀬戸内市、赤磐市、
加賀郡吉備中央町、
久米郡久米南町、美咲町、
都窪郡早島町
海上で隣接
香川県:小豆郡土庄町
|木=クロガネモチ
|花=キク (花木はサルスベリ)
|シンボル名=市の鳥
|鳥など=タンチョウ
|郵便番号=700-8544
|所在地=岡山市北区大供一丁目1番1号
center|250px|岡山市役所
|電話番号=086-803-1000(代表)
|外部リンク=岡山市
|位置画像={{基礎自治体位置図|33|100}}
|特記事項=thumb|220px|center|岡山市旗
}}
thumb|240px|right|桃太郎大通り
thumb|240px|right|後楽園と岡山城
岡山市(おかやまし)は、中国地方の南東部、岡山県の南部に位置する政令指定都市で、同県の県庁所在地である。
thumb|180px|right|桃太郎像(JR岡山駅東口)
全国的には桃太郎の伝説と吉備団子や西大寺会陽(裸祭り)、温暖な瀬戸内の気候により育まれたマスカット・オブ・アレキサンドリアや白桃など高級フルーツの産地として知られる都市である。中心部には岡山城 や日本三名園の一つである後楽園を市民のオアシスとして擁している。岡山藩池田氏の城下町として栄えた江戸時代以来、地域中心都市として発展してきた高層ビルの立ち並ぶ中心部と、長閑な田園や中山間地域が広がる郊外の豊かな自然とが調和した都市環境を持っている。
1980年代以降の瀬戸大橋の開通、JR線の四国との直通化、山陽自動車道の開通に伴い交通インフラが急速に整備され、岡山都市圏は周辺都市圏と共に東瀬戸経済圏として成長してきた。
広大な平野を背景に中四国のクロスポイントとして交通網が整備され、一大物流ハブという優位性を持つ。
市の人口は全国の市で19番目に多い。人口増加率は先行政令指定都市と比較してもかつては上位に位置していたが、2005年国勢調査~2009年12月では政令指定都市18都市中9位となっている。
2009年4月1日に全国で18番目、中国・四国地方では広島市に次いで2番目となる政令指定都市に移行した。
市の北部はなだらかな丘が続く吉備高原の一角をなしており、市民の水がめである旭川ダムや、利便性の良さから利用客が増大している岡山空港、および近郊住宅街がある。瀬戸内海に注ぐ旭川と吉井川、2つの一級河川の運搬・堆積作用によって形成された南部の岡山平野に中心市街地が位置しており、さらに平野の南部は江戸時代以降の干拓地であり農地が広がり穀倉地帯をなしている。その南に児島湾を挟み、瀬戸内海を望む風光明媚な児島半島の丘陵地を成す。
thumb|right|220px|市中心部を流れる旭川
thumbnail|220px|児島湾(児島湾大橋から西望)
{{climate chart|岡山
|1|9|33
|1|9|46
|4|13|83
|9|19|102
|14|24|115
|19|27|186
|24|31|160
|24|32|91
|20|28|160
|13|22|88
|8|17|51
|3|11|26
|float=right
|source=Climate-Charts.com
}}
北を中国山地、南を四国山地に挟まれた瀬戸内海沿岸部に位置するため、典型的な瀬戸内海式気候に属す。温暖で日照時間は年間約2000時間と長く、年間降水量は1100mm程度と雨・雪は全国的に見て非常に少ない。
春季と秋季では移動性の高気圧に覆われ快晴となる日が多く、太平洋高気圧に覆われる夏季には瀬戸内海沿岸特有の「凪」が起るため、熱帯夜になることがしばしばある。しかし毎年幾度となく日本列島に来襲する台風やその影響による風雨も、中国山地や四国山地の山々によって弱められることが多く、災害に見舞われることは少ない。また、冬季においては北東季節風が中国山地にさえぎられるため降雪は少なく、雪が降った場合でも積雪する事はほとんどない。1989年以降、降水量1mm以上の降水日数が全国の県庁所在地では最少であるため、「晴れの国」をキャッチフレーズとしている。
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| en|(°C)}} | 4.8 | 5.1 | 8.4 | 14.3 | 19.0 | 22.9 | 26.9 | 27.9 | 23.7 | 17.6 | 12.1 | 7.0 | 15.8 |
| en|(°C)}} | 8.9 | 9.4 | 12.9 | 19.2 | 24.1 | 27.2 | 31.2 | 32.1 | 27.7 | 22.1 | 16.5 | 11.4 | 20.2 |
| en|(°C)}} | 1.0 | 1.0 | 3.8 | 9.3 | 14.1 | 19.1 | 23.5 | 24.2 | 20.0 | 13.4 | 7.8 | 2.8 | 11.7 |
| en|(h)}} | 146.8 | 141.5 | 167.0 | 186.7 | 201.4 | 158.6 | 179.5 | 200.0 | 153.3 | 170.5 | 149.1 | 155.4 | 2009.8 |
| en|(mm)}} | 32.8 | 45.8 | 83.2 | 102.4 | 115.2 | 185.8 | 160.0 | 90.9 | 160.2 | 87.5 | 51.2 | 26.2 | 1141.0 |
| en|(日)}} | 4.7 | 5.5 | 8.7 | 9.4 | 9.0 | 11.3 | 9.2 | 6.6 | 8.9 | 6.9 | 5.1 | 4.0 | 89.1 |
| - |
岡山市の推計人口は現在70万人を超えており、現在増加傾向にある。これは若年層を中心とした働き手による社会増および自然増によると考えられる。(全政令指定都市18市中最少)
{{人口統計|code=33201|name=岡山市}}
古代の岡山は吉備国の一角であり、弥生時代と古墳時代には、筑紫・出雲・ヤマト・毛野などと並んで、日本列島を代表する政権として繁栄し、ヤマトと連合して列島の統一・治世に貢献した。
しかし、吉備の興隆を快く思わないヤマトに裏切られて勢力を削減され、備前国・備中国・備後国・美作国に分割され、これ以後現在に至るまで、経済・文化の面で連関の強い旧吉備国の政治的な統一は達成されていない。吉備国が分割された後、備前国の国府は現在の岡山市域内に置かれたと見られる。
岡山周辺は室町時代までは農村地帯で、16世紀には金光氏が小規模な城を築いて拠点にしていた。戦国時代に岡山の地の交通の便と土地の広さに目を付けた宇喜多直家は1570年(元亀元年)に金光宗高を謀反の疑いありとして切腹させて、岡山城を奪った。その後城を大規模に拡張し、山陽道を岡山経由に付け替えて、備前国内外の商人を呼び寄せ、1573年(天正元年)に本拠にすべく移住した。直家が始めた城下町・岡山の振興は、秀家の代にも続けられ、これ以後、岡山は主に備前国の政治経済の中心地となった。
thumb|right|180px|池田綱政
宇喜多秀家が関ヶ原の戦いで没落すると、1601年(慶長6年)に小早川秀秋が岡山城に入った。秀秋は翌1602年(慶長7年)に死に、小早川家は断絶した。1603年(慶長8年)には池田忠継が入り、以後江戸時代を通じて、岡山は池田氏の城下町となった。
城下町としての岡山は発展を続け、池田氏第四代の綱政の代である1707年(宝永4年)には町方人口が3万0635人(武家・寺社方を含めた総人口は推定4万~5万人)に達し、国内でも十指に入る経済力を持つ城下町となった。後楽園が造成されたのもこの時期である。しかるに町方人口は享保の頃から暫減し、幕末の1858年(安政年)には2万0092人となる。これは岡山藩の新田開発による農村商業の発達とは対照的であり、藩当局が農村から都市への人口流入を抑制する政策をとったことによるものとみられる。
{{右|
200px|thumb|none|岡山県立博物館
thumb|200px|none|吉備路文学館
thumb|200px|none|岡山シンフォニーホール
200px|thumb|none|岡山コンベンションセンター
}}
thumb|right|220px|ファジアーノ岡山FCの応援風景
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{{Commons|Category:Okayama, Okayama}}
公式
観光
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Category:岡山県の市町村
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おかやま
Category:都道府県庁所在地
Category:政令指定都市
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