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| 『横綱』とは |
49917:横綱
横綱(よこづな)は、相撲の力士の格付けの最上位。本来は腰に締める綱の名前である。古くは戦国時代 (日本)には既に黒白横綱という黒と白を混ぜて撚り合わせた綱が存在していたとされる。
当初は大関の中で、横綱をつけられる者をいっていた。このことから横綱になることを「綱を張る」と表現する。当初は横綱免許を持つ大関に対する名誉称号だった為、番付表では大関が最高位であったが1909年以降は地位として定められた。これにより、番付表に横綱が登場する事となる。
大相撲では横綱になった者は特別な事がある以外は半永久的にその地位に就き、引退することによってその地位を降りられる。かつては吉田司家などの相撲司家が免状を発行していたが、現在では日本相撲協会が横綱審議委員会の諮問をあおぎ、独自に推挙している。横綱審議委員会に決定権があるように誤解されているが、その反対を協会が押し切って誕生した横綱も存在する。
昇進
江戸時代には、将軍家の観戦する上覧相撲や寺社への奉納相撲など、特別な式典に際して横綱土俵入りを披露させるために横綱をつくった。そうした機会に恵まれず、現在なら当然横綱に値する成績を残しながら、横綱免許を受けなかった強豪大関も少なくない。また当時の力士は多く大名のお抱えであり、その力関係や派閥争いの影響で、横綱を逃すケースもあったと考えられる。
明治時代に入り、「横綱は大関の中の強豪」という考え方が一般的になると、本場所での成績によって横綱を免許されるようになった。その最初のケースは、17代小錦八十吉 (初代)だったと言われている。
吉田司家以外にも横綱免許を出したところは数多く存在するが中でも京都の五条家は自らを吉田より歴史の古い由緒ある司家と名乗り東京相撲の他に大坂相撲や京都相撲の力士にも多くの横綱免許を出したが結局吉田との司家争いに敗れてしまった。現在では吉田司家以外の免許を持つ者は後に吉田の追認を受けた者以外歴代横綱として認められていない。1名だけ吉田司家免許を持ちながら歴代横綱に含まれない者(礒風 音治郎)もいるが幕内時代正式に番付にその名が掲載されたことはなく(明治16年1月は番付外幕内格、5月は客席三役格)免許も巡業専用であったと解釈され小錦以下の代数を下げてまで追認する必要もないとされた。なお吉田司家以外の免許で土俵入りを行なった力士の中には司家に遠慮して綱の色を変えたり(黄色が多かったらしい)吉田司家の地元熊本では土俵入りを行わなかったりする者もいた。吉田司家以外から横綱免許の話を持ちかけられたが断った力士も存在する。横綱免許をめぐる事件もいくつか発生している。
藩閥政治の有力者が後援者となった力士を番付面で優遇することなどもまかり通り、「藩閥横綱」も誕生したが、近代スポーツとしての体裁を整える中でこれらは姿を消した。
現在(2004年)の横綱昇進に関して、「大関で2場所連続優勝かこれに準ずる成績」という条件が広く知られているが、これは横綱審議委員会の内規にある表現である。
日本相撲協会の番付編成上、横綱昇進の条件として明文化されたものは存在しない。しかし、すくなくとも昭和時代以降は、この「2場所連続優勝かそれに準ずる成績」が昇進の是非を審議する目安とされてきたのは確かである。(玉錦三右エ門や千代の山雅信のように連続優勝でも昇進を見送られた例もある。)
戦後は、上記条件の「~準ずる成績」の部分が拡大解釈され、多分に興行上の必要もあって、連続優勝を果たさない横綱が多数つくられ、これに対して「粗製乱造」の批判も高まった。一度も優勝経験を持たない双羽黒光司が横綱昇進後にトラブルを起こして廃業に追い込まれると、昇進条件の厳密な運用が必要とされ、この双羽黒事件以降、旭富士正也以降の横綱はすべて連続優勝によって昇進している。
1994年、当時大関の貴乃花光司が5場所中3場所を優勝しながら、連続優勝でなかったことから横綱昇進を見送られ問題になるなど、連続優勝という条件だけに固執する弊害を指摘する声も少なくない。
番付編成会議によって横綱昇進が決定すると、協会から理事が当該力士のもとへ(東京場所なら所属部屋、地方場所なら宿舎となっている旅館など)その旨を伝達に訪れ、「昇進伝達式」が行われる。現在では昇進の可否は、この時点ではほぼ確定しているので、これは形式的なものになっている。
昭和23年10月に横綱免許を授与された東富士欽壹まで行なわれた横綱免許授与式では吉田司家で本免許状授与式が行なわれた後に司家の13尺土俵で奉納の土俵入りを行なっていた。昭和26年6月に横綱に推挙された千代の山雅信以降は靖國で理事長が横綱を手渡す推挙式が行なわれるようになったため吉田司家の横綱本免許状授与式は行なわれなくなったが13尺土俵での奉納の土俵入りは隆の里俊英まで続いた。双羽黒光司以降は推挙式に吉田司家は参加せず吉田司家の13尺土俵における奉納の土俵入りも行なわれていない。
伝達式で使者を出迎えた新横綱は、「つつしんでお受けいたします」「横綱の地位を汚さぬよう」「稽古に(相撲道に)精進いたします」「本日はまことにありがとうございました。」といったほぼ定型の口上で応じる。新横綱は、新番付の発表を待たず、この時から横綱として扱われることになる。
特権と責務
横綱力士の特権で最大のものは、横綱を締め「太刀持ち」・「露払い」を従えて[[横綱土俵入り]]を行えることである。横綱土俵入りは現役の横綱力士にしか許されず、横綱経験者であっても自身の引退相撲を最後にこれを行うことはない。唯一の例外として、還暦を迎えた時に赤い横綱を締めて行う「還暦土俵入り」がある。横綱土俵入りは、ショーとしての大相撲の最大の売りであり、一種の責務ともいえる。なお、露払や太刀持には引退相撲や還暦土俵入りなど特別な場合は横綱力士が付き従うことがあるがそれ以外では大関以下(普通大関は使わないが)の幕内力士が務める。横綱力士が還暦や引退の土俵入りに付き従う場合でも自分の土俵入りと同じく綱は締めることになっている。
横綱力士は、上述の通り、現役を退くまでその地位を保証される。一方で、そのため常時安定した成績を求められもする。怪我などのため、若くして引退に追い込まれる横綱も少なくない。最近では若乃花勝や曙太郎が引退後、アメリカンフットボールやK-1などの他競技へ転向しているが、横綱という地位の特殊性ゆえの現象とも言える。
所属部屋の規模にもよるが、横綱力士には通例15人程度の付け人がつく。綱を締めるのに人手を必要とするためもあって、大関以下の関取に比してその数は非常に多い。
横綱力士は、相撲協会の役員選出などに、現役力士の代表として投票権を持つ。
また、大関が不在の場所では「横綱大関」として横綱が大関の地位を兼ねることになっている。
現在、横綱は特権として年寄名跡を持たなくても5年間は四股名のままで親方(委員待遇)になれる。
豆知識
;横綱同時昇進(免許)
:常陸山と2代梅ヶ谷は入門も同期。
;同期生横綱
:常陸山と2代梅ヶ谷は横綱昇進も同時。:2代若乃花と隆の里、貴乃花と3代若乃花は同日同部屋入門。:貴乃花と3代若乃花の間で一度だけ実現した兄弟優勝決定戦は、若乃花の大関時代であり、「同日同部屋入門の同期生横綱による優勝決定戦」はまだ実現していない。
;横綱としての最多連勝記録分・預を含まないものとしては、千代の富士貢の53が最多。双葉山定次の69連勝は平幕から横綱にかけてのものだったため。双葉山の横綱としての最多連勝は36。逆に横綱としての連勝の最少記録は武藏山武の3。
;大関陥落を経験している横綱横綱制度の曖昧だった江戸~明治初期以降では、三重ノ海剛司だけ。大関角番を経験した横綱には、 琴櫻傑將(横綱としての大関在位最長記録も持つ)、三代目若乃花、曙、貴乃花らがいる。
関連項目
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