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 『茨城県立土浦第一高等学校』とは

52231:茨城県立土浦第一高等学校
茨城県立土浦第一高等学校いばらきけんりつ つちうらだいいちこうとうがっこう)は茨城県土浦市真鍋の高台にある公立学校高等学校1897年に県内2番目に設立された旧制中学が前身(旧制茨城尋常中学(現水戸一高)土浦分校)。通称は、土浦一高(つちうらいちこう)であり、土浦市内などでは一高(いちこう)とさらに略されることもある。県内では一高が複数あるため、土一(つちいち)と略される場合がある。

茨城県南部地域の中心的な進学校として県内では水戸第一高等学校とともに1、2を争う進学校。県内にとどまらず全国的な公立進学校としても有名である。文部科学省サイエンス・パートナーシップ・プログラムとして筑波大学との連携講座を実施している。また、フルブライト基金日米教育基金)のマスターティーチャープログラムに参加しており、アメリカの高校生と研究交流をしている。

旧本館は昭和51年に全国の旧制中学の建造物として初めての国指定重要文化財に指定される。

平成13年4月1日現在、卒業生は旧制中学全日制(卒業回数49回)4540名、高等学校全日制普通科(53回)理数科(50回)19693名、定時制普通科(50回)1853名、通信制54名の合計26140名である。
高等学校増加に伴い通信制は昭和39年に、少子化に伴い理数科は平成13年をもって募集停止になった。

{| align="right" border=1 cellspacing=0 cellpadding=2 style="border: solid 2px #000000; margin-left: 16px"|| colspan=2 align="center" style="border-style: solid none solid; background: #f0f0f0"|茨城県立土浦第一高等学校|-| align="center" style="border-style: none none solid; background: #f0f0f0"|創立| style="border-style: none none solid solid"|1897年|-| align="center" style="border-style: none none solid; background: #f0f0f0"|教育課程| style="border-style: none none solid solid"|全日制・定時制|-| align="center" style="border-style: none none solid; background: #f0f0f0"|設置学科| style="border-style: none none solid solid"|普通科|-| align="center" style="border-style: none none solid; background: #f0f0f0"|所在地| style="border-style: none none none solid"|〒300-0051|-| colspan=2 align="right" style="border-style: none none solid"|茨城県土浦市真鍋4-4-2|-| align="center" style="border-style: none none solid; background: #f0f0f0"|過去の名称| style="border-style: none none none solid"|茨城県尋常中学校土浦分校
茨城県立土浦中学校|-| align="center" style="border-style: none none solid; background: #f0f0f0"|電話番号| style="border-style: none none solid solid"|029-822-0137
029-826-3521(FAX)|-| align="center" style="border-style: none none solid; background: #f0f0f0"|外部リンク| style="border-style: none none solid solid"|[http://www.tsuchiura1-h.ed.jp/ 公式サイト]|-|}

沿革


校訓


校歌


今では全国的にも珍しい2拍子の校歌である。制定は明治44年

:一、沃野(よくや)一望数百里 関(かん)八州(はっしゅう)の重鎮(しずめ)とて:  そそり立ちたり筑波山(やま) 空の碧(みどり)をさながらに:  湛(たた)へて寄する漣波(さざなみ)は 終古(しゅうこ)渝(かは)らぬ霞浦(かほ)の水

:二、春の彌生(やよい)は桜川 其(そ)の源の香(か)を載(の)せて:  流(ながれ)に浮(うか)ぶ花筏(はないかだ) 葦(あし)の枯葉に秋立てば:  渡る雁(かりがね)声冴(さ)えて 湖心(こしん)に澄むや月の影

:三、此の山水の美を享(う)けて 我に寛雅(かんが)の度量あり:  此の秀麗の気を享(う)けて 我に至誠の精神(こころ)あり:  東国(あづま)男児(おのこ)の血を享(う)けて 我に武勇の気魄(きはく)あり

:四、筑波の山のいや高く 霞ヶ浦のいや広く:  嗚呼(ああ)桜水(おうすい)の旗立てて わが校風を輝かせ:  亀城一千の健男児 亀城一千の健男児

学区


茨城県第4通学区

学区内の人口はおよそ70万人である。隣接学区(茨城県第2・第3・第5通学区及び千葉県第3・第4・第5通学区の一部)は定員の30%以内で入学が認められている。

主なOB


OBは地元の政界、経済界、医師界、教育界のみならず、全国的レベルで活躍している。特に戦前から中央官庁三菱財閥日立製作所、海軍関係に強く、今も多数の卒業生がその方面で活躍している。近年は筑波大学の教官になる者が急増している。

政官界


財界


学界


文化芸術スポーツ


校長、教員


教諭は土浦一のOBが多く、筑波大、早稲田大、東北大、理科大、東京外大などの出身が多い。OBが教諭となって母校に戻ってくることから自由な雰囲気が保たれているともいえる。教諭の異動は主に県南地域が多いが、水戸一、県教育委員会への異動では栄転といわれる。校長は県や他校校長から転身してくることが多く、退職後は土浦一OBが理事長をしている常総学院の校長として迎えられるケースが多い。

歴代校長


生徒


通学する生徒は、土浦市及びその周辺(千代田町 (茨城県)石岡市)の日立製作所関連などの工業団地、病院関連の子弟、東京のベッドタウンである牛久市龍ヶ崎市取手市などの平均所得帯の高い地域の子弟、稲敷郡阿見町)などの大学関連施設、工業団地の子弟、学区外であるがつくば市の研究学園都市(国立研究機関)及び病院関係の子弟などが多い。地区別東大合格者数は例年土浦石岡阿見地区で10名、つくば茎崎地区で10名強、牛久龍ヶ崎取手地区で10名弱ほどである。

進学先


国立大学では東京大学一橋大学東京工業大学東北大学筑波大学、国立大医学部、私立大学では慶應義塾大学早稲田大学東京理科大学への進学が多いのが特徴である。東京大学への累計進学者数は1000名を超える。最高は平成9年の43名合格である。筑波大学への合格者数は筑波大学の開校以来1回を除き全国NO1を続けている。

文化祭


特徴


旧本館


昭和51年に全国の旧制中学の建造物として初めての国指定重要文化財に指定された。玄関の屋根裏から発見された棟札も国指定重要文化財に指定されている。竣工は1904年(明治37年)12月7日であり、設計者は駒杵勤治、施工は石井権蔵。駒杵は東京帝国大学工科大学建築学科を首席で卒業し、卒業後茨城県営繕技師として赴任。のちに県技師。1902年(明治35年)12月から1905年(明治38年)3月までのわずか2年3ヶ月の在任期間内に土浦中学校本館、 太田中学校(現太田一高)講堂(国指定重要文化財)、水戸商業学校(現水戸商業高校)本館(一部移築、国登録有形文化財)、龍ヶ崎中学(現龍ヶ崎一高)講堂(現存せず)、水海道中学(現水海道一高)講堂(現存せず)、麻生警察署(現存せず)、下館警察署(現存せず)などを手がける。土浦中学旧本館はギリシャ建築の三様式の一つであるコリント派の建築物ではアカンサスの葉をモティーフにした柱頭に特徴がある。

高校大学連携講座


他校との交流


関連高校


外部リンク


Category:茨城県の高等学校



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