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 『右翼団体』とは

63107:右翼団体
右翼団体(うよくだんたい)は街宣右翼新右翼民族派、等、多種多様に分類される。また、非合法組織である暴力団政治団体である右翼団体に偽装したもの(右翼標榜暴力団)も存在する。

日本の右翼団体の歴史

{{独自研究|section=1}}
民族主義団体としての日本の右翼団体は、思想的背景としては、日本が欧米列強の武力と直面し始めた幕末までその直接の淵源を遡り得る。

戦前

明治維新後、自由民権運動の高まりに危機感を抱いた政府高官達は、任侠の徒に政治団体を結成させ、民権運動家の活動を妨害・弾圧する手段とする。その後、社会主義運動の高まりと共に労働争議小作争議が各地に広まると、政界財界からの要望により、任侠系の政治団体がそれらの運動妨害、弾圧運動に大きな役割を果たしている。この系統を引く団体は、「任侠右翼」(暴力団系右翼)などと称される。

また、日本の近代化の過程で生じた諸矛盾を解決を目指す政治団体として平等を目指す2つの流れが生じた。一つは社会主義革命により平等を目指そうとする流れ。もう一つは天皇の下に万民は平等であるとする流れである。これは、日清戦争、日露戦争を背景に、中華民国の成立や李氏朝鮮の近代化に関与した大アジア主義の潮流に乗る。また、社会主義の影響もとで国家主義によるアジアの近代化の実現を目指したために社会主義との接近をも起こし、その思想潮流はいわゆる国家社会主義や社会主義との複雑な影響の元にあった。思想的傾向は、必ずしも反共ではなく、反欧米色が強かった。この系統を引く団体は、「正統右翼」などと称される。

財界の要望にたち、労働運動を弾圧する「任侠右翼」(暴力団系右翼)、理想を掲げ、凡アジア的活動を行う「正統右翼」は、戦前右翼団体の2つの大きな系統であった。これらは利害が一致する財界、軍部から資金援助を受けて活動をしていた田中隆吉『敗因を衝く―軍閥専横の実相』中公新書。

戦後

しかし、第二次世界大戦の敗北によりそのような潮流が根こそぎ否定される。GHQにより多くの右翼団体は軍国主義の温床と見なされ、弾圧を受けた。また、右翼団体のパトロンであった軍部の消滅、財閥の解体、農地改革による地主層の没落により、資金面でも厳しい局面に追い込まれる。しかし、冷戦の激化による占領政策の修正により、左翼運動を押さえるために右翼団体に対する取り締まりはゆるめられる。これにより、右翼団体は次々と発生したが、資金源が戦前と比べると著しく縮小していることから、運動は低調で、独自の資金源を持つ「任侠右翼」(暴力団系)の団体が右翼運動の主流となる。これにより、政治的には資本主義陣営に属しながら、思想的には共産主義思想が大きく力を伸ばした状況の元で、右派政治家や企業経営者と結びつき、彼らからの非合法的な依頼(デモ潰し、労組潰し、地上げ立ち退き、公害被害者やライバル企業への嫌がらせ)をこなす団体が多くなる。また、元からある団体もそれに利用されていった。したがって、思想的な内発性に乏しい団体が多く、暴力団と人的に全く重なってしまう団体も多いといわれる。

占領期が終わると各右翼民主主義の仮装を剥ぎ、天皇中心主義・反共主義・反社会主義・再軍備促進・憲法改正などのそれぞれの主張を公然と標榜し、活動を再開した平凡社『世界大百科事典』1988年。これら戦後右翼団体の大きな特徴としては「反共親米」路線を挙げることができる。

しかし、右翼の黒幕の児玉誉士夫ロッキード事件での多額の蓄財の発覚や、三島事件経団連襲撃事件を契機に総じて体制寄りである右翼と袂を分かち、「反共反米反体制」を唱える「新右翼」と呼ばれる団体が急増する。思想的には戦前の「正統右翼」と共通するところが大きい。

また、戦後の右翼運動の特徴として、「宗教右翼」の台頭も挙げられる。保守系、右派系思想を持つ宗教団体が直接、または間接的に政治団体を立ち上げたものである。母胎となる宗教団体が主要な資金源である事が多い。

活動

属する系統によって立場が違い、団体によって活動内容や方針も異なる。様々な右翼ないし保守主義者団体をまとめる連絡機関として、「全日本愛国者団体会議」(全愛会議)、「大日本愛国団体連合時局対策協議会」(時対協)、「青年思想研究会」(青思会)、自民党議員も多く所属する保守主義者団体の「日本会議」などがあるが、必ずしも思想統一を行っているわけではない。

主に天皇主権、学校での日章旗掲揚・君が代斉唱の義務化、押し付け憲法として日本国憲法の排除・大日本帝国憲法型体制の復活、失地領土(北方領土竹島樺太など)に対する奪還運動、国体肯定、反共、反労働組合を唱える。揚右翼運動の詳細については、右翼を参照されたし。

「皇室の藩屏」(この言葉は本来敗戦前の旧華族を指す表現である)を自認、民衆や個人を犠牲にして国家や天皇家つまり旧来からの国体の維持をこそ優先するという超国家主義国粋主義天皇崇拝の立場を採り、天皇皇室(とりわけ明治天皇昭和天皇)に対して行なわれる批判には敏感で、脅迫や暗殺といった事件をいくつも引き起こしている。

日本の右翼団体の分類

戦前(精神派・理論派)

戦前は組織・行動という分類ではなく、「純正日本主義」と「国家社会主義」とに分類され、前者は「精神派」後者は「理論派」とされている 「右翼思想犯罪事件の綜合的研究」。所収、今井清一・高橋正衛編『現代史資料4国家主義運動』みすず書房、1988年。

戦後(組織右翼・行動右翼)

組織右翼も行動を伴うが、嶋中事件の際に警察庁が「治安上注意を要する団体」として組織右翼と行動右翼という2分類をしている(『右翼関係団体要覧』1972年。所在地記載のないものは東京所在。)。

「行動右翼」の語は任侠団体が右翼に参加した1960年前後から一般化した。 堀幸雄『戦後の右翼勢力』勁草書房、1983年。

脚注

関連項目

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外部リンク

参考資料

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Category:戦前日本の社会運動
Category:戦後日本の社会運動
Category:日本の公安



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