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 『アサヒビール』とは

66781:アサヒビール
{{基礎情報 会社
|社名 = アサヒビール株式会社
|英文社名 = Asahi Breweries, Ltd.
|ロゴ = 200px|ロゴ
|種類 = 株式会社
|市場情報 = {{上場情報 | 東証1部 | 2502}}{{上場情報 | 大証1部 | 2502}}
|略称 = アサヒ
|国籍 ={{JPN}}
|本社郵便番号 = 130-8602
|本社所在地 = 東京都墨田区吾妻橋一丁目23番1号
|電話番号 = 03-5608-5111
|設立 = 1949年9月1日(創業1889年
|業種 = 3050
|事業内容 = 酒類などの飲料食品薬品
|代表者 = 池田弘一(代表取締役会長・CEO
荻田伍(代表取締役社長・COO
|資本金 = 1,825億31百万円
|発行済株式総数 =
|売上高 = 単独9854億円
連結1兆4724億円
(2009年12月期)
|営業利益 =
|純利益 =
|純資産 = 単独5075億円
連結5777億円
(2009年12月)
|総資産 = 単独1兆1558億円
連結1兆4336億円
(2009年12月)
|従業員数 =
|決算期 = 12月31日
|主要株主 =
|主要子会社 = アサヒ飲料
ニッカウヰスキー
アサヒフードアンドヘルスケア
和光堂
|関係する人物 = 山本為三郎村井勉樋口廣太郎
|外部リンク = http://www.asahibeer.co.jp/
|特記事項 =
}}
thumb|300px|アサヒビールの本部ビル。[[吾妻橋そばにある。隣接するスーパードライホールは、浅草ランドマーク的な存在として知られている。その上の「炎のオブジェ」は”躍進するアサヒビールの心”を象徴している]]
アサヒビール株式会社({{Lang-en-short|Asahi Breweries, Ltd.}})は、日本の大手ビールメーカー。

概要

1889年創業。1949年大日本麦酒株式会社の分割により設立。

 

同社の分割は主要ブランドであるアサヒビール(西日本で販売)とサッポロビール(東日本で販売)を分割する形を取ったが、この分割を推進した大日本麦酒の山本為三郎専務が朝日麦酒の初代社長に就任したため、様々な憶測を呼んだ。山本は大日本麦酒に合併された日本麦酒鉱泉の出身であり、その同社から継承した商品でかつ全国ブランドとして知名度のあったユニオンビールと三ツ矢サイダーの2銘柄を朝日麦酒が継承した他、戦前大日本麦酒は設備投資を西日本に集中して行っていたため、その結果最新鋭設備の殆どが朝日麦酒の帰属となっていたのがその主な理由であった。
 

更に西日本では戦前からアサヒブランドが定着していたため、新生アサヒビールも西日本を中心に売れ行きは好調で、分割当初はキリンビールを含めた3社間で市場占有率1位となり、山本社長も関西財界の重鎮として活躍していた。しかし、高度経済成長と共に東京への一極集中化が進むと、結局この山本が主導した地域偏重の分割がたたり、大幅に市場占有率は低下。首都東京では同根で同じくブランド名に馴染みの無いニッポンビール(1964年にサッポロビールと改称)と競合。地元とも言える関西地区でも後発のサントリービールの発売に際し山本社長が支援に回ったため結局同一問屋内での競合関係となり、1970年代以降はキリンビールに市場占有率の先行を許し、生ビール競争に敗れてサッポロビールにも追い抜かれた。
 

1980年代中盤には市場占有率10%を割る程のジリ貧で、4位のサントリーに追い抜かれる寸前の状態となった。そのため、経営状況も悪化。住友銀行が支援に乗り出すこととなり、同行から経営改善策として1986年樋口廣太郎が送り込まれる。この樋口の決断で、1987年「アサヒスーパードライ」を投入。このスーパードライの大ヒットとそれに特化した販売戦略が功を奏し、売上高と市場占有率を劇的に回復。各社が挑んだドライ戦争にも勝利を収め、1998年、日本国内ビール市場占有率1位となった。

スーパードライの好調もあり、他社が価格の安さと品質改良で発泡酒の売り上げを伸ばす中、アサヒは「アサヒはドライ一本、ビールのみで勝負します。発泡酒は発売しません」と高々と宣言したこともある。だが、世の中デフレの流れで発泡酒のシェアが伸びる中、その間毎年のように新発売したビールの新製品が不振であったことや、看板商品のスーパードライも売り上げに翳りが見え始めたことから止む無く方針転換し、「発泡酒カテゴリーが成立したから」と理由を説明して2001年から「本生」で発泡酒市場に参入したアサヒビール参入で発泡酒戦線さらに熱く 日経BPネット 2001年2月28日

その後は発泡酒の増税もあり、2005年から所謂第三のビール市場にも参入。ただ、シェア競争の結果、2006年1-6月期にて6年ぶりにキリンビールに市場占有率首位を譲る形となったが、下半期に巻き返し、年間では僅差で首位を維持した。

かつて鳥居薬品を1987年に子会社化したが、1998年にJTへ保有株式を譲渡。

スポーツ新聞4紙(日刊スポーツスポーツニッポンスポーツ報知サンケイスポーツ、いずれも東京本社発行版のみ)及び夕刊フジ日刊ゲンダイの1面に連日広告を掲載している。

沿革

ブランド名

大阪麦酒が名付けた「朝日(アサヒ)」というブランドの由来については諸説あるが、創業者・鳥井駒吉の出身地である堺市に縁のある以下の説がよく知られる。なお、設立当初は「朝日麦酒」ではなく「旭麦酒」と表記されていた。

「旭館」説
天保期に堺港の修築が行われた際、そこに新地(「龍神新地」、現在の南海本線堺駅西側付近)ができた。当時は港に面した風光明媚な場所として賑わったが、中でも「朝日ノ家」は堺屈指の茶屋として知られた。その「朝日ノ家」が閉鎖された後、堺の酒造組合の代表であった鳥井が1888年、堺の酒造業者と政府の高官や財界人との交遊をはかる目的で、同地に社交倶楽部「旭館」を開設した。「旭館」は「朝日ノ家」から名付けたものだが、新たにビール事業に参入する際にも、この「朝日・旭」ブランドを重用し「旭麦酒」と命名した。
「旭橋」説
鳥井の生家(堺市甲斐町西2丁、現、堺市堺区甲斐町西2丁)そばを流れる内川に「旭橋」という名の橋が架かっており、自らの酒造業者としての原点を忘れないという思いを込めて「旭麦酒」とした。なお、「旭橋」の一部が、鳥井の生家跡から北東に進んだ場所にある「ザビエル公園」内に、また、「堺事件」の碑と天誅組の上陸地を示す「天誅組上陸地」の碑と並んだ場所に残されている。

主な商品

ビール

スポーツドリンク

コーポレート・スローガン、キャッチコピー

 

メインロゴはデザイナーの上原昌が製作した。

コーポレート・スローガンやキャッチコピーではないが、2006年10月から、すべての酒類系飲料のCMにおいて、『飲酒運転は法律で禁止されています。』という字幕が出るようになった。

文化・スポーツ事業

文化事業・メセナ活動

美術音楽を中心とした展覧会や演奏会への支援、評価の定まらない若手芸術家の発表支援、地域づくりNPOへの支援など、日本で企業メセナ活動をもっとも活発に行っている企業の一つである芸術・文化支援活動 アサヒビール公式サイト

CSR活動

スポーツ事業

スポーツ関連では、社会人アメリカンフットボールXリーグの「アサヒビールシルバースター」の展開をはじめ、2001年より野球日本代表のオフィシャルサプライヤーも務めている。

歴代イメージガール

本社

役員

工場

過去には吾妻橋工場(東京都墨田区。現在のアサヒビール本社ビル、リバーピア吾妻橋墨田区役所などが建っている場所)、東京大森工場(東京都大田区。現在、イトーヨーカドー大森店などが建っている場所)が存在したが、これらの工場は建物の老朽化、生産拠点の集約化、新工場の建設などで閉鎖された。


ファイル:Asahi beer.JPG|吹田工場
ファイル:Asahi Breweries Ltd Ibaraki Brewerie.jpg|茨城工場
ファイル:Asahibeer Kanagawa Beerfactory.jpg|神奈川工場

グループ構成・関連企業

関連会社

協力会社

提供・広報

提供番組

企業PR誌

CM出演者

現在

企業

「私の挑戦」篇

ビール

アサヒ スーパードライ
アサヒ ザ・マスター
アサヒ 熟撰(プレミアム生ビール)

発泡酒

第3のビール(麦の新ジャンル)

アサヒ 麦搾り
クリアアサヒ
アサヒ オフ
アサヒ ストロングオフ

焼酎・ウイスキーその他

ナレーター・CMソング

ナレーター
CMソング

過去

ほか、過去に存在した商品も参照。

関連項目

脚注

{{脚注ヘルプ}}{{Reflist}}

外部リンク

{{Commons|Category:Asahi Breweries}}
{{DEFAULTSORT:あさひひいる}}
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Category:日本のビールメーカー
Category:住友グループ
Category:東証一部上場企業
Category:大証一部上場企業
Category:日経平均株価
Category:墨田区の企業



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