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| 『日本航空機製造』とは |
164896:日本航空機製造
日本航空機製造(にほんこうくうきせいぞう=日航製、NAMC)は、日本の航空機メーカー。戦後初の国産旅客機YS-11を製造したことで有名。
戦後の航空産業
かつて航空機大国だった日本は、1945年に太平洋戦争(大東亜戦争)に敗北すると、GHQによって航空機の製造を全面禁止された。戦前の航空機資料は全て没収され、機体は一部が米軍に接収されたほかは、すべて破壊された。1950年に朝鮮戦争が勃発すると、アメリカ合衆国は一転して1952年、最前線基地の日本に対し航空一部再開を認め、ノックダウン生産、ライセンス生産という形で三菱重工業などに戦闘機の生産を行わせた。3年で休戦となるとそれもなくなったが、代わりに保安隊(後の自衛隊)で使用する航空機のためにライセンス生産するようになり、にわかに航空産業復興の兆しが見え始めた。
日航製の設立
1956年に連合国による航空禁止令が全面解除されると、ちょうど戦前からこのころまで使用されてきた旅客・貨物輸送機ダグラスDC-3(旧海軍零式輸送機)が老朽化したため、日本の通商産業省は5月30日に「中型輸送機の国産化計画構想」を発表した。しかし、禁止11年の歳月は、日本から航空機製造の技術力を奪うには十分であった。各方面から実現が疑われる中、翌1957年にの基本構想をするための「輸送機設計研究協会」を設立した。
1959年に輸送機設計研究協会は、三菱重工業、川崎重工業、富士重工業、新明和工業、日本飛行機、昭和飛行機の6社の協力の元、日本航空機製造に組織を改め、本格的に輸送機の開発作業が始まった。1962年7月にYS-11初号機がロールアウトし、1964年国内の型式証明を獲得し、翌1965年遂に運用を開始した。
また、YS-11と同時期に自衛隊で使用する中型戦術輸送機を製造することが決定し、NAMCが当初の設計、製造を任されたが、その後に製造を川崎や富士など6社が分担し、総組み立てを川崎が行うことになったので、C-1 (輸送機)として完成した。
解散へ
合計182機のYS-11を生産したが、通産省主導の国策半官企業のため、企業経営は全くうまくいかなかった。営業の方法が悪かったために、特に海外において原価を割った価格で販売を続けたので、販売当初から経営は悪化した。またYS-11自体、製作過程から軍用機の延長線上であるため、旅客機の世界標準に到達しているとは言いがたく、日本の航空産業が改修に改修を重ねて使える機体にしていったと言われる。
そこへ中東戦争によるオイルショックの訪れによって注文が激減、もともと役人体質だった日航製に耐える術はなく、1974年2月1日に海上自衛隊への納入を最後に生産を終了した。通産省はYS-11に懲りたのか、以降の新型機開発に積極的な姿勢を示さず、習得した技術を伝えるべき後継機製作が決まらないまま、1982年9月7日に解散した。累積赤字は約360億円に達した。
なお、YS-11の点検整備や修理は三菱重工業が引き継いで行っている。
関連項目
Category:日本の航空機メーカー
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